和泉屋旅館だより

【恵比寿講】お正月行事つぎつぎ

恵比寿講のお祝い

 新年を迎えて20日が過ぎました。21日は大寒。鏡開き、どんど焼き、愛宕山講などお正月行事が続きます。写真は二十日正月に商家でお祝いする「恵比寿講」の様子です。正月には恵比寿大黒の二神を祀って大いに五穀豊穣、大漁を祈願するのです。祝い膳のかたわらには未使用の領収書を添えて領収書一杯に稼がせていただけるようお願いします。宝船に乗って、さあ御出帆!暮れにはお帰りをお迎えして慰労の恵比寿講となるのです。どうぞ今年もいい年になりますよう。

【横山太郎さん】新刊「童謡のふるさとを訪ねて」上梓


横山太郎さん、和泉屋で

≪和泉屋旅館で開催された「うたごえの夕べ」で演奏する横山太郎さん≫

 作曲家でアコーディオン奏者の横山太郎さんは童謡研究家としても知られています。JRのジパング倶楽部の会報誌に長く連載された歌を訪ねての記事は好評を博しました。「この度の大震災を契機に、再度「たび」と「うた」を見直し、日本中のみんなが「うたい」出し、日本中のみんなが「出かけ」、そして日本中のみんなが元気になってほしい」と肩の凝らない「読み物」として「童謡のふるさとを訪ねて」(明治書院・1,260円)を出版されました。日本人の心に伝わる名曲の誕生、生い立ち、エピソードが曲の楽しさ、深み、親近感を増す本になりました。ぜひ、ご購読をお薦めいたします。現在、雨情会理事。著書「童謡へのお誘い」(自由現代社)、「歌のまちづくり」(教育芸術社)もどうぞ。

【塩釜から福渡】120年前筧(かけい)で湯を引いた訳

 


【現在の湯樋のようす】




【大正の初めころの湯樋のようす。】

明治の中ごろ、塩釜地区から福渡地区へ約1キロを湯樋(ゆとい)で温泉を運ぶ工事がなされました。もともと福渡には大型の一流旅館が軒を連ね、風光明媚、夏の観蛍、秋の紅葉として有名でした。そして裸の湯、泡の湯、冷の湯、岩の湯、不動の湯の五か所に湯が湧いていました。それなのに多額の費用をかけて湯を運んだ訳はなぜでしょう?キイワードは当時、盛んに広告に登場するようになった「内湯旅館」という言葉にありました。本来、温泉は湯の湧いているところで利用、入浴します。外湯があたりまえだったのです。観光地が近代化され、競争も盛んになると、旅館内で利用できる「内湯」が客を惹きつけるようになりました。当時、ポンプもなくパイプもなく、福渡の主人たちが考えたのが、標高差を利用して水道の原理で、それぞれの旅館へ湯を引きこむことでした。現在福渡橋付近で普通木々の葉に隠れてよく見えない「湯樋」が、がけ崩れ防止工事のため露わになりました。当初は松の木をくり抜いたり、箱型に樋をつないで引いてきましたが、今はエスロンパイプなど軽く、丈夫、保温性も高い材質が利用されています。

塩原温泉おかみさんたちの【押し花教室】

和泉屋のミニギャラリー


押し花作品例

 和泉屋のカフェバー(喫茶室)はミニギャラリーになっています。和泉屋をアトリエに描かれた油絵や版画など季節ごとに飾らせてもらっています。昨日から約20点の押し花が部屋いっぱいに旅の土産に社長や顧客が持ち寄った郷土民芸などの人形たちと一緒に展示されました。和泉屋の女将眞知子さんの作品です。月に一度、宇都宮の岩崎知子先生の出張教授の押し花教室が開かれ、旅館や商店、事業所のおかみさんたちが集い、楽しく語らいながら作品を仕上げてきました。宇都宮の文化センターでの展覧会も幾度か開催されましたが、狭いながらも楽しい我が家でと眞知子おかみさんの「個展」となりました。

五大路子さん大和田伸也さん塩原で【長谷川伸】に逢う

五大路子長谷川伸を演じる

≪和泉屋の舞台で長谷川伸の名作を再現する五大路子・大和田伸也夫妻≫


今年6月長谷川伸の会から、第46回長谷川伸賞を授与された、女優の五大路子さん。
授賞理由に「『横浜夢座』公演および『一人芝居』等、出身地である横浜発の芝居づくりにおける地道な努力と、その優れた成果に対して」とあります。その彼女が同じ横浜の先輩として慕ってやまないのが、作家長谷川伸。

昨年、五大さんは塩原和泉屋が長谷川伸の仕事場であり、後進の研さんの場だったと聞き、訪ねて下さいました。その際、長谷川一門が和泉屋の舞台で「文士劇」を演じたことを知り、ぜひ、いつかは
この同じ舞台で自分も一人芝居をと仰って下さいました。

今年、大震災で日延べになっていたファンクラブのツアーを塩原へ、和泉屋へということになり、多忙な御主人、大和田伸也さんを伴いおいでになりました。

和やかな昼食会のあと、お二人で舞台に立ち、長谷川伸先生の名作「瞼の母」「一本刀土俵入り」の
名場面を演じられ、ファンクラブの方々の涙を誘いました。


紅葉見るなら トコサ 塩原へおいで【塩原小唄】

塩原渓谷の秋景

 昨夜のNHK天気予報で、紅葉の見ごろポイント紹介に「塩原渓谷」が出ましたね。
谷崎潤一郎の「吉野葛」で「野州塩原の秋は、塩原じゅうの人の顔が赤くなると云われている」と書かれています。また、徳富蘆花は「自然と人生」の <空山流水> で、散った紅葉で「川床は殆んど眞紅になって居た」「水は底の石を流(あら)ひ、紅葉の柵(しがらみ)を潜(くぐ)って、歌ひながら流れて行く。」と綴っています。正岡子規は「灯ともしの顔に灯うつる紅葉哉」と。

【會津八一】と【オオマツヨイグサ】

オオマツヨイグサ 


月見草育てる会佐藤悟さん

塩原妙雲寺に會津八一の歌碑があります。『なづみきて野辺よりやまに入るみちのみみにさやけき水の音かな』秋艸道人の雅号で知られる歌人で書家。新潟の人です。そのご縁で會津八一を顕彰する記念館の皆さんと懇意になりました。会長の小柳マサさんがオオマツヨイグサ(月見草)を育てる会の会長さんをなさっておられ、たくさんの苗をいただき、私どもの福渡町内会で植栽をはじめたのが2000年(平成12年)でした。先だっては現事務局長の佐藤悟さんがご来館下さり、「新潟の秋艸道人の歌碑周辺に咲いた月見草の種です」といって、たくさんの種をいただきました。来年に向けていっぱいの種を播きます。長いご縁をありがとうございます。

【徳川家康】は和泉屋で書かれた 山岡荘八忌

 


9月30日は和泉屋とご縁が深い山岡荘八先生の祥月命日でした。昭和53年のこの日71歳で亡くなられました。山岡先生は伝説のベストセラー「徳川家康」の作者としてあまりにも有名ですが、師である長谷川伸先生や同志的な友人、村上元三先生らとともに、よく和泉屋をご利用下さいました。
太平洋戦争後、戦争加担の作家とみなされ、作家としての方向性に戸惑い、和泉屋で呻吟(しんぎん)し、「戦争と平和」を主題として見出し、徳川三百年の基を築いた「徳川家康」の執筆に取り掛かったのが、和泉屋「りんどうの間」だったのです。全26巻の長編小説は経営者たちの指南書と言われ大ベストセラーとなりました。昨今、中国で「徳川家康」が大ブームとなっているそうです。
写真は和泉屋主人に下さった、署名入りの「徳川家康」

【川瀬巴水展】 巴水と塩原&和泉屋

 
巴水しほ原あら湯の秋


太平洋戦争が終わってすぐのお正月に「福渡町内会新年演芸大会」が磯屋旅館大広間で開催された。班毎に演目を工夫し賞品つきで競ったので盛会だった。巴水さんは司会役を買ってでて、大きな杓子をマイクに見立てて、放送局のアナウンサーよろしく、小唄や小話を交えての熱演で大喝采を博した。「流石江戸っ子!」「当意即妙!」と巴水さんは村の人気者となった。疎開中の一こまである。

版画家 【川瀬巴水】と塩原&和泉屋

 
川瀬巴水翁


今、那珂川町広重美術館で川瀬巴水展が開催されています。巴水には大正7年のデビュー作「塩原おかね路」をはじめ、塩原を主題にした作品が多く遺されています。それというのも、幼少期病弱だった巴水は母の姉、垣本なつ夫妻が、塩原で観光土産店を開業したので、連れられて、湯治ながら毎年塩原で過ごした幼い日の懐かしさがあったのです。垣本土産店の隣家が和泉屋旅館で、当時の13代主人田代源一郎や叶屋旅館の磯兵八らと親交を深めました。後年、戦時中の疎開にもつながる交際でした。

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